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Nvidiaの成功に学ぶ(その2)

今回は、Nvidia社の創業直後の6会計年度(1993年4月〜1998年)の変遷を、2016年11月30日刊のForbes誌(参考資料1)と、2016年9月7日のPC Watch誌(参考資料2)および、1999年の上場に向けて提出したSEC-File(FORM S-1)から読み取ってみる。

日本から押し寄せた波

共同創業者の一人であるMalachowsky氏は、2016年11月のForbes誌に、彼らに起業を決意させた「日本からの波」‪について以下のように語っている。‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬


図1 NvidiaのSenior VPであるChris Malachowsky氏 出典:Nvidiaのブログページから

図1 NvidiaのSenior VPであるChris Malachowsky氏 出典:Nvidiaのブログページから


「1993年、市場にニーズはありませんでしたが、『波』が来るのを見ました;
『カリフォルニアでは、毎年5ヵ月も続くサーフィン大会が開催されます。大会関係者は、日本で大波や嵐が発生するとサーファー達に準備を開始するよう伝えます。経験では2日以内に『波』が来るからです』;
私達が見た波は、正にそういう『波』でした。 私達は準備を開始しました」(翻訳は筆者)。

その『波』とは、日本において起こった3Dグラフィックスを搭載した家庭用ゲーム機のブームであった。 コンソール・ウォー(ゲーム機戦争)と呼ばれる家庭用ゲーム機(PlayStation、セガサターン、NINTENDO64等)のハードウエア性能競争が白熱し、本格的な3Dグラフィックス機能が家庭用ゲーム機に搭載されることが予想されていた。彼らは、PC向けにアドオンのグラフィックスボードの市場が生まれると予想した。

家庭用ゲーム機でのゲーム機戦争を制したのは、新規に参入した当時のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)社であった。 SCE社は、高度なハードウエアを安価に販売することを可能とするビジネス戦略を推し進め、アプリケーションソフトウエアを提供するサードパーティの高い支持を得て独自のエコシステムを立ち上げ、世界中で大衆消費者の高い評価を勝ち取った(参考資料2)。

家庭用ゲーム機の興隆と対照的に、家庭用PCは魅力的なアプリケーションに欠ける「箱」となる瀬戸際にあった。ゲームセンターのマシンや、家庭用ゲーム機と同様の性能を実感(ユーザー・エクスペリエンス)できる『PC用の3Dグラフィックスボード』が登場することは、PCを購入した若者にとっても、また、PCの製造・販売のサプライサイドにとっても大きな関心事であった。

『日本で起こり、カリフォルニアに伝わる大波』は、家庭用コンピュータがムーアの法則を超えて性能を飛躍させる荒波であり、更に、先端技術を新しいユーザー・エクスペリエンスとして消費者向けに低価格に且つ大量に提供するというビジネスモデルの号砲でもあり、更に、サードパーティ企業の支持がビジネスを制するエコシステム型協業の時代の到来を意味していた。

日本からの『波』が北米の一部の回路設計者達に大きな刺激を与え、1990年代後半に70ものグラフィックプロセッサ企業をスタートアップさせていたが、既存の大手半導体企業の多くはその『波』に乗ることはできず取り残された。1993年11月に設立されたソニー・コンピュータエンタテインメント社もまた、ゲーム機開発のベンチャー型事業体だったといえるだろう。

当時の半導体企業各社が進めたスケーリングの追及(微細加工技術の量産工場への実装)は、実は、多くの半導体企業において、回路技術やビジネスモデルの大きな変革を密かに抑制していた。 回路方式が大きく変わることは、設計ミスを誘発し、品質の信頼性を下げ、開発スケジュールを遅延させる可能性があった。 回路技術の大幅な変革を抑制しスケーリング則に従って18ヵ月から24ヵ月で性能/コストを2倍とする(黙っていても、性能/コストが2倍となる)ことを優先する傾向があった。『回路技術の大変革』は、既存の大企業では進みづらかったといえるのではないだろうか?

第一世代チップ(NV1)の開発

Nvidiaの最初のグラフィック・アクセラレータチップであるNV1は、開発に1,000万ドルの費用をかけて完成し、1995年5月に販売された。 チップは、主にSGS Thomson(後のSTMicroelectronics)が製造し、そのチップを搭載したグラフィックカードは、米Diamond Multimedia社から”Diamond EDGE 3D”として販売された。 NV1は、曲面描画エンジンを特長とし、CPUに負荷を掛けずに音情報も再生し、CPUからマルチメディア処理全般を切り離すという意欲的なチップであったと言われている。

開発資金は、ベンチャーキャピタル(VC)のSequoia CapitalとSutter Hill Venturesから調達した(参考資料1)。Sequoia Capital Groupは、Apple、Google、Yahooなどへの投資で知られる。 Sutter Hill Ventures社も、テクノロジーベースの新興企業への投資に焦点を当てた古参のVCであり、LSI Logic社の創業時(1980年代)の投資家でもあった。

NV1の開発時点のIBM-PC互換機では、グラフィック・アクセラレータボード用のAPI (Application Program Interface) の標準化がなされていなかったため、Nvidia社は、独自に設定したAPIのデファクト標準化を目指した。

しかしながら、Windows 95の登場後のMicrosoft社が、DirectX (ゲーム作成用のマルチメディア処理API集) を発表したことはNvidiaにとって大きな誤算であった。DirectXでは、多角形描画が採用されていたため、Nvidia社のNV1は、本来の描画性能を発揮できなく、商品としては失敗作となってしまった。この結果、NVidia社は、創立から1997年第3四半期まで毎期損失を計上した。


表1 創業当初の損益(単位は百万ドル) 出典:Nvidia社がSEC(証券取引委員会)に提出したAnnual Reportを元に筆者が作成

表1 創業当初の損益(単位は百万ドル) 出典:Nvidia社がSEC(証券取引委員会)に提出したAnnual Reportを元に筆者が作成


第二世代チップ(NV2)の開発

Nvidia社は、「設計、開発、サポートサービスを顧客企業にベストエフォートベースで提供する」というビジネスモデルを目指した。研究開発の成果を顧客に提供するARM社に似たモデルである(参考資料1)。

1996年に、SGS-Thomson社(1998年5月にSTMicroelectronicsと社名を変更)との契約を得て、第二世代チップであるNV2のデザインデータを開発した。SGS-Thomson社とは、戦略的提携契約の一環として、研究開発およびマーケティング活動を支援する契約資金を受け取った。上記表1に示した創業当初6年間の損益では、研究開発契約に基づいて受け取った契約金は、主に研究開発に(一部は、販売費および一般管理費)に回し、研究開発の削減と扱っている(参考資料1)。

NV2は、STMicroelectronics社との契約を実行する成果物となったが、Nvidia社の収益に寄与するものとはならなかった。

第三世代チップ(RIVA 128)の開発

創業後3年目に入った頃、Nvidiaは倒産寸前に陥り、開発費用を減らすため従業員の半数を解雇し、約40人の企業に縮小した。しかしながら、ビジネス目標(Objective)に関しては、むしろ目線を上げ、自らが、PC用の高性能3Dグラフィックプロセッサのリーディングサプライヤーになることを目指すこととし、次のようにブレイクダウンした戦略を掲げた;

 ・ 主流のPC市場向けに受賞歴のある製品を構築する。
 ・ 主要なOEMをターゲットとする。
 ・ 3Dグラフィックスの技術的リーダーシップを拡大する。
 ・ 市場シェアを拡大する。

第二世代チップ(NV2)の開発時のビジネスモデルが「コンサルタント型」であったのに比べ、彼らは倒産の危機に瀕しながらも、製品の開発・製造・販売へと、事業プランを拡大させた訳である。

筆者は、その経緯を調べることができなかったが、SGS-Thomson社とのビジネス枠組みではカリフォリニアや台湾を本拠地とするOEM企業群への販売活動が機能しなかったのではないかと想像する。また、PC市場向けの製品に求められる「大規模な見込み生産を進めるリスクを誰が取るのか」という問題にもぶつかったであろう。

1997年途中、Nvidia社は1500万ドルを超える累積損を抱えていたはずである。その4年以上も利益を生まないベンチャーを投資家が支え続けた点に筆者は驚きを禁じ得ない。先行するソニー・コンピュータエンタテインメント社の成功が、投資家にも大きな刺激となったと見るべきなのであろうか?

RIVA 128のウェーハ製造は、当時先端であった0.35µm 世代であり、TSMC社とWafer Tech社への委託とされた。 後工程は、Amkor Technology社、Siliconware Precision Industries 社、又は、Chip PAC社とし、Nvidia社は、社内に品質保証の体制を整えた。

1997年に後半に、Nvidia社は、ようやくマイクロソフト社のDirect X APIに準拠した3番目のチップ(RIVA 128)の開発を完了させた。そのチップの3Dグラフィックスの描画性能は、競合他社の約4倍であった。この性能差を与えうるのは、回路アーキテクチャの違いとしか考えられない。

このチップは、STB Systems社、Diamond社、Creative社との取引を獲得し、1998年1月期では初めて単年度黒字を計上した(表1)。

参考資料
1. The New Intel: How Nvidia Went From Powering Video Games To Revolutionizing Artificial Intelligence, Forbes誌, Nov 30, 2016.
2. 【懐パーツ】処女作にして野心的、NVIDIAのNV1を搭載した「EDGE 3D」、PC Watch誌、2016年9月7日。

岡島 義憲

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