「受講者がもっと受けたくなる」実践を重視した人材育成教育のカリキュラム
人材育成教育プログラムではカリキュラムの構成が鍵となる。まして暗黙知が多い製造分野での教育プログラムとなると、百聞は一見に如かずで、実践的なものが必要である。文章で書かれているテキストだけでは情報量がどうしても限られてしまう。
2024年5月17日の朝日新聞朝刊に「半導体全工程 見られる さわれる」というタイトルの記事が掲載された。九州工業大学マイクロ化総合技術センターが半導体関連企業から研修生を受け入れて、「設計から検査まで全工程を実際の機器を使って学べる」研修を行っており、今や「受講料で同センターの約1億円の運営費を賄える」(同紙)とのことである(参考資料1)。
かつて経済産業省が団塊の世代の定年退職で、日本企業の製造ノウハウが絶たれてしまうという危機感を抱き、産学連携製造中核人材育成事業を行ったことがある(参考資料2)。2007年から準備を開始し2008年度から4年間の時限で、日本全国に36のプロジェクトを発足させた。同参考資料のプロジェクトナンバー35番に明らかなように九州地域産業活性化センターも「産学連携半導体製造中核人材育成事業」を受注して事業を展開したが、その時にもこの九州工業大学マイクロ化総合技術センターが活躍した。以下本稿では往時をしのぶため、当時の役職と敬称、社名をできるだけそのまま記載させて頂く。
上記で紹介された施設は当時九工大に在籍された浅野種正教授(参考資料3)が、心血を注いで構築された施設であるが、日本の半導体産業が斜陽となっていく時期と重なり、筆者が見学させて頂いた当時は、浅野教授は運営費の制約と施設使用者の清浄化教育で大変苦労されていたのを記憶している。なにせ半導体特有の、不純物によるパーティクル、スクラッチ、汚れ対策には莫大な金がかかり、しかもいったん汚染されたら、その除去が困難である。その上、半導体産業特有の毒性ガスや自燃発火性のガス薬品を使うので、安全対策にも気を配らねばならない。現在その運営費が賄えるレベルに至ったことは大変喜ばしく、隔世の感がある。
今でも通用するレベルのカリキュラム
この九州地域で展開された半導体製造中核人材育成事業は、経産省の補助金が切れた後、残念ながら総括することもなく経済的な理由で、解散してしまったが、そのカリキュラムは今の時代でも基本部分は通用する、極めて実践的で大変優れたものであった。それは浅野教授をはじめ、元東芝首席技監でその後アプライドマテリアルズジャパンでも技師長として経験を積まれた柏木正弘氏(参考資料4)などが中心となって構築されたもので、当時のテキストをめくって見ると、内容の濃さでも流石と思わせるものがある。筆者も柏木氏に誘われて同事業に参画する機会を得ていたが、セミナーで司会をした分だけでもここに紹介して、遅まきながら一端を総括するとともに、往時をしのんで関係者のご努力を多としたい。なお、このプロジェクトには元九州大学教授で、当時熊本の電子応用機械技術研究所所長をされていた鶴島稔夫氏のご支援もあったことを記しておく。
プロジェクト運営委員会委員長は宮崎大学工学部電気電子工学科の黒澤 宏教授である。九工大浅野教授はその後九州大学大学院システム情報科学研究院教授になられ、応用物理学会理事をされた、半導体に造詣が深い研究者である。また柏木正弘氏はその後、熊本県産業技術センターの初代所長をされ、更にその後は新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の技術戦略研究センター、電子・情報・機械システムユニットでフェローを務められたほどの実力者である。このプロジェクトではこの両氏がリーダーシップを発揮され、それまでの研究実績と積み上げられた人脈に基づいた成果が結集されていた。
そのカリキュラムの構成は、材料投入から完成品まで一気通貫したウェーハプロセス工程に使われる要素技術と、工場で使われる製造機器のメカニズム・部品・材料の要素技術との、大別して太い2本柱で座学が構成されていた。その柱を包み込むように上記九工大の施設にてウェーハ工程の実習と、大分県のエリア社(参考資料5)におけるテスト技術の実習が組みこまれており、しかもその上、ロンド・アプリウエアサービス社(参考資料6)の製造現場・生産性改善教育まで組み込まれていて、極めて実用に適した、実践的なプログラムであった。
この2本柱の具体例を挙げておこう。実際の運営はくまもとテクノ産業財団が主催する形で実施された。
平成20年度のテキスト、「半導体プロセス要素技術」の柱では、例えば、現在このコラムのインサイダーズとしてエンジニア論点の記事でご活躍されている、元ソニーで米国電気化学学会フェローの服部毅氏による「クリーン化技術」や、名古屋大学工学部プラズマナノ工学研究センターの林俊雄教授による「真空とプラズマ技術I」、NECセミコンダクターズ九州・山口の 熊本川尻工場の西本剛グループマネージャーによる「真空・プラズマ技術II」などがある。これらはこのカリキュラムの一端ではあるが、タイトルと講師名からだけでも基礎から応用までカバーしている全体像が窺えよう。
「製造装置技術」の柱では、例えば東京エレクトロン九州の開発本部福重健作課長と飛田晃治主事による「メカ・エレキ部品・センサー・制御」、堀場エステックの開発本部清水哲夫副本部長による「流体制御技術・配管技術」、SMC社熊本営業所の空気圧1級技能士矢野宣延係長による「空気圧機器と空気圧システム」などがあった。清水講師のオン/オフ時に瞬時に動作するマスフローメータの講義や、矢野講師のクリーンルーム内でも使用できる発塵を抑えたコンセプトの空気圧システムの講義などは、今でも貴重な知見を示唆している。
これに上記の九工大における実習とエリア社の実習、更にはロンドアプリウエアサービス社代表取締役中崎勝氏の現場改善事例講義と実習があり(参考資料6)、今振り返って見ても誠に豪華なプログラムであった。このようなカリキュラムは正に教育のプロと、実務のプロの融合による成果としてできたものと言えよう。筆者自身も司会をしながら勉強させて頂いたものである。
これからはAI活用の製造技術も教育項目に
初めて九工大の施設を見学させて頂いた時に、突然浅野教授に院生の前で何か話をするようにと言われた。筆者は第一線の研究者である浅野教授の前で半導体技術をお話しできる器ではないので困惑したが、幸い当時、コンピュータソフトが進んで、以前このブログでも紹介した特許明細書を類似性で分類して解析する技術(参考資料7)が市販され実用化されており、特許マップを作る技術として注目されているというネタがあったので、それで冷や汗を流しながらお茶を濁した思い出がある。今ならAI技術を使えば何でもない技術であるが、当時は研究課題や研究テーマを決めねばならない研究者や研究所長にとって、この特許マップは現状技術レベル把握手段の一つとして欠かせなかったからである。
当時と比較して現在はプロセス技術も設備技術も、そして現場改善技術にも、レベルの差はあれ、AI関連の技術が取り込まれている。今やその辺の実践的な教育も含めたカリキュラムが求められていると思う。特に品質管理や生産管理、そして安全管理面などの管理技術の側面からの教育も、AI抜きにしては語れなくなっている。
実を明かすと、筆者が80歳まで務めた東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻講師を辞めた理由は、残念ながらAIに関して実務経験が全くないことを自覚したからであった。進展著しいAI技術をいかに取り込んで活用していくかが、今後の製造中核人材にも求められる時代が来ている。その面を加味した実践的なカリキュラムとして、どういうものが求められるのかを真剣に考えねばならない時期になっている。
タイトルの「もっと受けたくなる」という句は、定期的に開かれていた前記九州地域産業活性化センターのプロジェクト委員会で、委員のお一人であったNECセミコンダクターズ九州・山口の熊本川尻工場の阿部博史工場長が、「このプロジェクトの認知度はまだ低い。宣伝を強化したらどうか、例えば『もっと受けたくなるセミナー』というキャッチフレーズを使ってでも」と発言され、委員会がどよめいた記憶から、その言を拝借した。もっとも筆者自身がこのコラムの津田編集長から「『もっと読みたくなる』記事を書け」と叱られそうなので、自戒も込めている。
謝辞
いつものことであるがこの度も津田編集長にはご査読頂いた。
また内容が18年も前のことで、筆者の手元資料も少ないため、浅野教授と柏木NEDOフェローの御査閲も賜ったことを記し、深甚な謝意を表したい。
参考資料
1. 大鹿靖明、「九工大にキオクシア・ラピダス・・・研修次々 半導体全工程 見られる さわれる 設計〜検査 実際の機器使い」、朝日新聞 経済・総合欄、(2024/05/17)
2. 「平成17年度産学連携製造中核人材育成事業」、
プロジェクト数36は年度によって増減がある。但し日本全国展開の規模を知る意味ではこのまま使用してもよいだろう
3. 「浅野種正教授」
SUMCOのインタビュー記事も詳しい
4. 「柏木正弘氏」
5. 「エリア社」
同社社長樋口嘉氏もプロジェクト運営委員会のメンバーとしてご活躍された
6. 「ロンド・アプリウェアサービス」
「工場管理」第70巻第6号(2024)にて、熊本「ひのくに道場」1000人の軌跡として紹介されている。代表取締役社長は中崎勝氏
7. 鴨志田元孝、「類似性で検索するツールと特許電子図書館での有機薄膜特許の分析」、セミコンポータル、(2010/04/22)